安全とは言うけれど

 私は現在医療安全を研究する大学院に勤めています。そいういわけで、安全というものについていろいろ考えたりするわけです。そういう視点で安全についていろいろ説かれたニュース記事を読んだり、いろいろな分野の人と話をするわけです。そういう機会のなかでひとつ興味深いなあと思うことがあります。それは、それぞれの書き手、話し手の間で「安全」という言葉の位置づけが異なるように思えることです。安全という概念は誰でも知っています。しかしながらそれぞれの人の考える安全は異なっています。また、同じ人でも文脈や目的によって安全という言葉の意味するところは変わってくるでしょう。だからこそ「安全という状態を作ることは難しい」わけです。誰もが安全という言葉の意味を知っています。しかしどのような状態が安全なのかと問われれば、即答できる人は少ないのではないでしょうか。

 例えば「安全」をインターネットのデジタル大辞泉で引くと、最初に出てくる説明は「危険がなく安心なこと」とあります。わかったようでわからない説明です。ここからわかることは安全とは「危険」のカウンターパートとして存在するということです。そしてこれを理解するには次に「危険」とは何かを考える必要が出てきます。さらに、もうひとつわかることは「安心」というように、その状態を認識する人間側の心理とも関係しているということです。

 このような安全の定義について、世界で最も広く受け入れられているものは国際標準化機構(International Organization for Standardization: ISO)の定義です。ISOのガイドラインの中に ISO/IEC Guide 51(Guideline for their inclusion in standards)という安全規定を導入するためのガイドラインがあります。これは日本規格協会(JIS)の規格(JIS Z 8051)としても採用されています。

 ここでは安全性とは「受容できないリスクがないこと」と定義されています。重要なことは安全とは「リスクがないこと」ではないということです。実際、環境においてはリスクがないという状況はあり得ません。そのためリスクを把握した上で、そのリスクが受け入れられる状態になっていることが安全として重要になるわけです。そのためにはまずリスクとは何か定義する必要があります。その上で、リスクをアセスメントする必要があるわけです。

 そうすることで初めてリスク低減の方法が検討・提案できます。このように安全というものを階層的に捉えることによって初めて、具体的な安全対策に結びつける素地ができます。このような背景のもとで、「リスクをどのように考えて捉え測るべきか」「どのように対策すべきか」を考えるにあたって、学問が必要になるわけです。実際場面において、安全という状態を保つためには知っておくべきことが沢山あります。そのような観点から、安全という言葉をつかう文章を読んでみるとまた面白みが増します。
(この文章は所属先のウェブサイト掲載用に寄稿した文章を加筆修正しています)