現在の能力は過去の機会の蓄積によるものです

能力というのは本来個人に閉じているものではないのだが、何かがうまくいかないときには特にその原因が個人の情報処理能力の問題であるかのように語られてしまう。見る、聞く、読む、話す能力。理解力。表現力。コミュニケーション能力。枚挙にいとまがない。

そういうものは現在進行形で個人がどういう状況に置かれているか、どういう環境にあるかという条件においても異なるはずだが、一般的にそうはみなされない。でも、私たちはAさんには話せるけど、Bさんには話せないことがあったり、話しやすいAさんもいれば、話しにくいBさんもいたりする。

そして現在進行形の話だけではなく、そういう個人のパフォーマンスは過去の機会の蓄積によって大きく影響される。ここで「過去の経験による」と書かなかったのは意図的である。経験というものは、経験できる機会があるからこそのものだからである。機会がなければ経験することすらできない。個人が経験から何を学ぶかということは人によって異なるが、学ぶ機会がない個人が何かを学べないのは間違いないだろう。学ぶ機会がないという機会があるのでは?と思ったならば、それは詭弁である。

だからこそ、どんな個人であっても、多くの人が経験するような事柄、例えば本を読むとか遠くに出かけるとか友達とおしゃべりするとかそういうことについて、その機会が当たり前のものとして保障されるということはとても大事なのではないかと思う。

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