子どもの動機づけって意外と難しいなあ

4歳になった長男が最近「おてつだいする〜」と言ってくれることがときどきあります.
僕が洗濯物をたたんでいるときにそう言ってくると,簡単なタオルの二つ折りなどをお願いすることにしています.
ここで,過去に僕が失敗したなあと反省していること2つを書きたいと思います.

1)こっそりたたみ直しているところを見られてしまった
 たたんでくれるのはありがたいのですが,うまくたためないんですね.なので「わー,ありがとう.上手に畳めたね!」と褒めて,こっそりたたみ直しました.そこを見られてしまったのです.長男は面白くなさそうな顔をしてどこかに行ってしまいました.そりゃそうですねよ.自分は一生懸命にお手伝いをした.お父さんは上手だと言って褒めてくれた.なのにお父さんは自分に隠れてタオルをたたみ直している.納得いかないだろうし,面白くもないわけです.僕は大嘘つきです.子どもは話の矛盾に,結構敏感に反応するんですよね.
 これって,実は教育の現場でもやられがちなことなのではないかなと思っています.つまり「意味のないことを一生懸命にやらせる」ということです.いや,大人側も悪気があるわけではありません.算数の課題をやらせる.足し算引き算ができないと将来困るからやらせるわけです.ここで子どもは迷うんですよね.数字を足したり引いたりすることが抽象的だから.なので教える側はりんごやみかんといった具体的なものを使って足し算や引き算にリアリティーを持たせようとするわけです.でも,これってリアルなんでしょうか.ある特定のカリキュラムをある特定の時間内に教えなければならない学校においてはある種仕方のないことだとおもいます.でも,家でもこの方法だと,こどもはしんどいだろうなあと思ったりするわけです.勉強のできる子ってクラスに数名いますけど,そういう子は大概,勉強をゲームや競争として捉えているわけですね.足し算引き算自体がどうと言うことより,問題に正解することに動機づけがあるわけです.これを誰に教えられるわけでもなくやっちゃうというのが勉強のできる子の特徴ですね.もちろん,本当に考えることが好きで…と言う子もおりますが,非常に少ないと思います.
 僕自身は家では今から算数を教える,今から国語を教える,ということは本人がやりたいと言わない限りやらないだろうなあと思います.今は,子どもが興味をもったことに対してそれを一緒に調べるということをよくします.長男がカナブンを拾ってきて飼いたいといったときに「カナブンは何を食べるの?」と聞いてみるわけです.じゃあ「わからない」と答えるんですね.何を食べるのかわからないのに飼えないよね.というと長男はとても悲しそうな顔をします.そこで「じゃあ,カナブンが何を食べるか,一緒に調べて見ようか」といって調べるわけです.こういうとき,インターネットって便利ですね.うちではタブレットPCでふとんに寝っ転がりながらいろいろ一緒に調べています.昔と違ってすぐに情報や,動画が見つかります.そうやりながら,生き物のことや,数え方や,その他いろいろ教えています.昨日は海辺で拾ったワカメ的なものを長男が「これはたべていいの?」と聞くので,持って帰って,一緒に調べて,洗って食べてみました(謎のワカメはアオサでした.ネットの情報通り「特に美味しくなかった」です.でも食べてみないとわからない).なんだかたいそうなことをやっているように思われるかもしれませんが,時間にしたら10分くらいです.偉そうなこといって済みません.僕自身,トライアンドエラーの毎日です.子育てって実験みたいなものです.
 話がずいぶんそれてしまいましたが,自分が今何のために何をやっているのか,自分が何かしたことがその後どうなったのか,というのがリアルにわかった方が,子どもとしてはいいだろうということです.タオルの件では,うちで使うだけの物ですから正直たたみ方が多少ぐちゃぐちゃでも問題なかったはずです.お風呂上がりにタオルを取って,それがぐちゃぐちゃにたたまれてたとき,長男に「これは君がたたんだヤツだね」と言ってあげた方がずいぶんと本人にとっても嬉しいことだろうなあと反省しました.

2)じゃあ,次これね,と言ってしまった
 たたんでくれると,親としては欲が出てしまいます.たたむ洗濯物がなくなったとき,今度は部屋の掃除しようね,と言ってしまったわけです.すると長男は逃げてしまいました.彼は本当の意味で手伝いがしたいわけではないのですね,たぶん.いや,手伝いはしたいんだけど,洗濯物をたたんだあとに掃除機を掛けるというのは,彼の頭の中にある作業ではないのです.そりゃそうですよね.
 このことについては,僕は深く反省しました.突然話は飛びますが「子どもに勉強する気をなくさせる方法」ってご存じでしょうか.答えはものすごく簡単です.「子どもが勉強しようとしているときに『勉強しなさい』と声を掛けること」です.なぜこれでやる気がなくなるのか,ということが重要です.子どもの中には最初,自ら勉強したいという欲求があったわけです.このように,行為そのものに本人が動機づけられることを「内発的動機づけ」と言います.一方で,勉強しなさいといわれて怒られるのが嫌だから勉強する(他にも,テストで点が良いとおもちゃを買ってもらえるから勉強する,など)といったように,別の目的のためにある行為が動機づけられることを「外発的動機づけ」と言います.学習においては,外発的動機づけよりも内発的動機づけの方が学習効果が高いというのはいろいろと研究の結果がでてるんですね.もちろんどうしても内発的に動機づけを持つことが難しい子どももいて,そういう子には外発的動機づけは初期の段階ではとても効果的だという研究もありますが.
 話を戻すと,勉強しようとしているときに勉強しなさいといわれると,内発的動機づけが外発的動機づけにすり替わってしまうわけです.僕が長男に対してやってしまったのはこれです.彼は洗濯物をたたんでる父を見て,自分もやってみたいと思ったんですね.それを父が掃除も手伝いなさい,という話にすり替えてしまった.これは教育の場面でも家庭の場面でも結構よくある話なのではないかと思います.どうやって内発的動機づけを維持するか,ということが難しいんですね.でも,こういう内発的 vs 外発的 という視点を持つだけでも,ずいぶんと違ってくると思います.
 
 この2つについては,反省しています.子どもの動機づけって本当に難しいなぁと思う毎日です.
(このコラムはサポートネットワークアミーカウェブサイト掲載用に書いたものを転載しています.)