子どもの思考と学び
Combiから「コップがさね」というオモチャが発売されている.
カップを積み上げたり,重ねて入れ子式に収納したりする知育玩具である.
我が家の長男幸太朗(2歳3ヶ月)は、親の助けを借りてなんとか積み上げたり収納したりできるようなレベルである.
一応認知心理学者のはしくれとしては,なんとなくこういう子どもの行動は気になるもので,口頭での教示をいろいろと工夫しつつ,参与観察してみた.
とはいいつつも,あくまで親目線なので実験統制的には大NG的な参与をやらかしているが,ま,仕方がない.
ここに幸太朗が「積みあげ」ているの動画と「重ね収納」している動画をUPしてみる.
こういうものを観ていると,例えばピアジェ的に「大きさの概念」が獲得されたからできる/できないといった解釈はハズレていると思うし(多分ピアジェ本人はそんな乱暴な説は唱えていないと思うが),一方で認知心理学的なヒューリスティックスを使って課題に取り組んでいるかというとそうでもない.
なんとなく緩やかな方略があり,常にそれを使うというわけでなく,やりながら試行錯誤する.いや,試行錯誤をするもしないも気分次第で,ともかく,その場その場でいろいろと変わる.
話は逸れるが,最近の認知心理学研究の失敗の縮図があるように思えてしまった.
人間がどうしてそういう行動をとるのかというメカニズムの解明を目指してきた認知心理学は,全体的に行き詰まっているのではないかと個人的には感じている.
例えば,自分の研究分野である「障害」についてであるが,知的障害のメカニズムを追求しても,まぁわからないのである.個人的な能力不足の問題も多分にあると思うが,知的障害についてそのメカニズムを追求するという問いの建て方自体が間違っていると個人的には思う.これが自分のやってきたことの誤りである.無駄ではないと思うが.
それよりも,なにかできないことがあって,それを本人や周囲が「困っている状況」に於いて,それを本人および周囲の負担なく解消するための工夫,およびそれに関わる人間の認知プロセスの変化というものを研究する価値はあると思う.そういうことこそ今後の認知心理学のメインにしないといけないと思う.
そういう研究はあるが,現在の所,とてもマイナーである.
自分の例は「障害」という認知心理学に於いてはマイナーな分野の例であるが,認知心理学全体についても同じだと思う.メカニズム解明が目的になっていて,何のためにそれを解明するか,の理由付けがいまいちのものが多い.研究者が多い割に,研究されるべき事が意外に研究されていないように感じる.
自分たちは現在「若手研究者」と呼ばれる世代であるが,この世代が中堅になる頃には,何とかそういう方向に認知心理学の方向が変わっていればいいなと思う.
ともかく,子どもと遊ぶのは面白いという話しである.
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