正式なメンバーとして迎えることの大切さ

長男を保育園に送って行った際に、ひと月ほど前から長男は振り返りもせず園の中に入って行くようになった。それまでは泣いて嫌がっていたのに。同時期に、連絡帳のコメントに、最近友達とうまく付き合えるようになってきた旨が増えてきた。親としては少しホッとしている。

メンバーとしてちゃんと受け入れられるか否かで、その場所、集団に対する気持ちが180度変わってしまう。受け入れられなければただの苦痛、受け入れられれば楽しい空間。

受け入れられない子は、ずっと苦痛。一番いい距離感をみつけて、それをメンバー全員が認めるということができればいいのだけれど。Eテレのおかあさんといっしょでともだち8にんってコーナーがあるけど、あれに出てくるボッチくんの参加の仕方はすごくいいと思う。

ボッチ君は普段は木の下で好きな本を読んだりして 一人で自由な時間を過ごしている。でも、ずっと一人でいる訳ではない。みんなが楽しそうにしていると、それが気になる。楽しそうだなあ、自分も仲間に入りたいなあと思う。そして、その遊びに興味があるよっていうそぶりをする。そうすると仲間は、ボッチ君に遊びに入るように声を掛ける。そうしてボッチ君は仲間に加わる。

これは何気ないシーンなんだけど、こんなことが当たり前のようにみんなできたらどれだけ素晴らしいことかと思う。それぞれの距離感をおたがいに認めて友達としてつながる。

文化人類学、そして心理学の専門的な概念として「正当的周辺参加」 というものがある。ものすごく大雑把にいうと、人間の学びに必要なものは、教育コンテンツそのものよりも「正式にメンバーに入る」ことだ、という考え方である。ちょっとした手伝いでもいいから、正式にメンバーに入って、徐々にメンバーとして役割を請け負うようになることで学びが生じるという考え方だ。この考え方を拡大解釈すると、メンバーとしてではなく、お客さんのうちはどれだけ役割があってもダメだということになる。

翻って、障害のある子どもについて考えるとき、私たちは子どもをお客さんとして扱ってはいないだろうか。お客さんとして扱いながら、彼らに成長を期待しすぎてはいないだろうか。

役割は人を成長させる。たとえそれが子供であっても。療育について考える以前に、正式に活動に参加できるようにするという視点を忘れてはいけないだろう。
(このコラムはサポートネットワークアミーカウェブサイト掲載用に書いたものを転載しています.)