レジュメ:想起停止による記憶想起の「遅延」と「破綻」
Nishiyama, S., O’Reilly, R. C., & Saito, S. (2025).
Slowdown vs. breakdown of memory recall by retrieval stopping.
Memory & Cognition, 1-13.
https://link.springer.com/article/10.3758/s13421-025-01696-y
抄録(Abstract)
Think/No-Think(TNT)研究では、人々が特定の記憶を思い出さないように意図的に思考を抑制することで、記憶が想起されるのを防げることが示されてきた。しかし、これらの研究で一般的に用いられている測定方法には重要な制限がある。それは、特定の時間制限内での「想起されたか/されなかったか」という二項的な精度測定である。本研究では、より幅広い想起遅延(recall latency)を考慮するため、長めの応答時間枠を用いて、想起の反応時間(latency)に着目した。
実験1では、標準的なNo-Think条件での直接抑制(direct suppression)が比較的一様で段階的な影響を及ぼし、短い時間制限では想起失敗が多くなるが、長い時間制限(10秒)ではベースライン条件と同程度の成功率で想起できることが判明した。実験2では、思考置換(thought substitution)もまた想起を遅らせたが、10秒においてもベースラインよりも想起率は低かった。
これらの結果は、記憶想起が特定の記憶群の破綻ではなく、全体的に一貫した方法で段階的に障害される可能性を示唆している。想起停止による忘却の理解には、過度な想起率への依存は避けるべきであり、想起遅延は有望な代替指標であると考えられる。
キーワード:想起停止(Retrieval stopping)、Think/No-Think、想起遅延(Recall latency)、抑制(Inhibition)、干渉(Interference)
序論(Introduction)
人々は、不快あるいは望ましくない記憶を抑圧する傾向があると広く信じられており、そのような過程の存在を支持する実験的証拠も多数報告されている(Anderson & Hulbert, 2021)。たとえば、Think/No-Think(TNT)パラダイムを用いた研究では、記憶を思い出さないように明示的に試みることで(以下、想起停止と呼ぶ)、記憶の抑制が誘発され、結果として忘却や記憶の情動的・知覚的劣化が引き起こされることが示されている(Anderson & Green, 2001; Gagnepain et al., 2014, 2017; Kim & Yi, 2013; Nishiyama & Saito, 2022)。
また、TNT研究では想起停止の神経機構(Anderson & Hanslmayr, 2014)や、臨床的障害における想起停止の困難(Mary et al., 2020; Stramaccia et al., 2021)についても明らかにされている。しかし、想起停止が記憶の想起に与える具体的な影響については、いまだ明確ではない。すなわち、想起停止は対象記憶の想起を「破綻」させ、記憶への長期的なアクセス不能状態を引き起こすのか。それとも、想起遅延のような段階的な影響を与えるに過ぎないのか。さらに、TNT研究では、想起停止の影響にもかかわらず想起された項目は、その影響をうまく「回避」したと仮定されている。しかし、実際にはすべての対象記憶が一様に、段階的に弱化しているのではないかという可能性もある。より広く言えば、TNT研究において「忘却」とは、記憶や想起プロセスにおけるどのような変化を指しているのか、再検討が必要である。
既存のTNT研究は、想起停止された記憶がベースライン項目と比較して想起されにくい、すなわち想起失敗が多いという顕著な効果を報告している。しかし、それらの研究で採用されている想起フェーズの実験設定、特に「一定の制限時間内に応答しなければならない」というルールが、これらの結果に影響している可能性がある。もし想起停止された記憶が一様に劣化しているのであれば、それらを想起するにはより長い時間が必要となり、制限時間内に想起できるかどうかは偶然に左右される可能性がある。
この問題を検討するために、本研究では2つの異なるTNTパラダイムを用い、それぞれの条件下で10秒という長い応答制限時間を採用し、より幅広い想起分布を観察できるようにした。
TNT実験は通常、3つのフェーズで構成されている。まず、参加者は記憶項目のペア(片方がキュー、もう片方がターゲット)を学習する。次に、TNTフェーズでは、参加者はキューが提示されるとターゲットを想起するように求められる(Think条件)か、逆にターゲットのことを考えないように求められる(No-Think条件)。最後に、参加者は再度キューを提示され、それに対応するターゲットを想起するように求められるリコールテストを受ける。この最終段階では、TNTフェーズでの指示に関わらず全てのターゲットを想起する。
TNT手続きにおける主要な知見は、「ベースライン以下の忘却」(below-baseline forgetting)である。これは、No-Thinkターゲットの想起率が、TNTフェーズでは想起も抑制もされなかったベースラインターゲットよりも低いことを意味する。この「想起率」は、各ターゲットのリコールを「成功(時間内に正しく想起)」または「失敗(時間切れまたは誤答)」のいずれかに分類して測定される。一般的には、この時間制限は4秒で設定されることが多い(Nardo & Anderson, 2024)、が、3秒(Benoit & Anderson, 2012; Nemeth et al., 2014; van Schie et al., 2013)や5秒(Anderson et al., 2004, 2011; Bergström et al., 2009; Berkman et al., 2009)などの例もある。
想起率(または想起された項目数)は、広範な記憶研究で有用な指標とされてきたが、この二値的分類は、記憶想起のダイナミクスや作動原理(すなわち記憶活性)を十分に捉えるものではなく、結果として、想起停止がもたらす記憶障害のメカニズム理解に限界をもたらしている。
たとえば、TNT研究でよく見られる想起率を示した棒グラフ(図1A)は、見かけ上は同様のパターンを示していても、その背後には時間的分布の異なる2つの想起プロセスが隠れている可能性がある。一つは、No-Thinkターゲットの反応時間分布(RT分布)がわずかにシフトしつつ、分布全体の面積が減少している(図1B)。これは一部のNo-Thinkターゲットが「破綻」して想起できなくなっているケースを示唆する。もう一つは、RT分布全体が右にシフトしているが面積は変わらないという場合(図1C)。この場合、想起プロセス全体が「遅くなっている」だけであり、記憶そのものの消失や破綻は起きていないことになる。
長い時間制限(たとえば10秒)では、後者のような「遅延」効果のみであれば、No-Think条件でもベースラインと同様の想起率が観察されるが、前者のように一部の記憶が想起不可能になる「破綻」効果であれば、長い時間制限でも想起率の差は残る。したがって、RT分布全体を測定することが、想起停止の効果を正確に理解するためには不可欠である。
想起遅延の分布を調べることで、「直接抑制(direct suppression)」と「思考置換(thought substitution)」という2種類のNo-Think戦略がもたらす記憶障害の特性の違いを明らかにできる可能性がある。直接抑制とは、気を逸らすような思考やその他の干渉を用いず、単純にターゲットを思い出さないようにする戦略である(例:Bergström et al., 2009; Catarino et al., 2015)。一方、思考置換とは、ターゲット以外の思考(たとえば他の単語など)を意図的に思い浮かべることでターゲットを抑制しようとする戦略である(例:del Prete et al., 2015; Hertel & Calcaterra, 2005)。
これらの2つの戦略は、非臨床サンプルにおいては、ベースライン以下の忘却を同程度引き起こすとされている(Stramaccia et al., 2021)が、それぞれ異なるメカニズムが関与しているとされる。具体的には、直接抑制による忘却は、記憶の「抑制(inhibition)」によって説明されており(Anderson & Green, 2001; Anderson & Hulbert, 2021; Taubenfeld et al., 2019; Wang et al., 2019)、一方、思考置換による忘却は、気を逸らす思考による「干渉(interference)」によって生じるとされる(Wang et al., 2015)。ただし、思考置換も記憶抑制を引き起こす可能性があると報告している研究もある(Benoit & Anderson, 2012; del Prete et al., 2015)。
本研究では、これら2つの戦略が記憶の「破綻(breakdown)」や「遅延(slowdown)」といった異なる効果をもたらすかについて、特に具体的な予測を立てなかった。しかし、得られた分布パターンを通じて、これらの戦略間の類似点と相違点を明らかにできる可能性がある。
図1に示された2つの代替的なRT分布のうち、どちらがベースライン以下の忘却効果を生じさせているのかを明らかにするために、本研究では**長めの応答制限(10秒)**を設けた2つの実験を行った。加えて、以前の研究と比較可能にするため、3秒、4秒、5秒といった過去に用いられた時間制限でも想起率をシミュレートできるように設計している。
過去にも想起遅延を測定した研究はあった(Cano & Knight, 2016; Haghighi et al., 2020; Nishiyama & Saito, 2021; Salamé & Danion, 2007)が、我々の研究のように想起遅延の分布全体を検討したものはなかった。なお、Haghighiら(2020)は、リコールテストの試行時間に関する問題を指摘し、長い試行時間で想起遅延を収集したが、彼らの主な関心は神経信号のERP解析であり、本研究で焦点を当てている記憶遅延のメカニズム区別とは異なる。
方法(Method)
本研究の実験は、京都大学教育学研究科の実験心理学研究倫理委員会によって承認された(承認番号:CPE-203)。すべての参加者は、本プロトコルに従い書面によるインフォームドコンセントを提供した。
サンプルサイズは、G*Power 3.1(Faul et al., 2007)を用いた事前の検出力分析、および項目の条件(3条件)および最終リコールテストの順序(2条件)に対するカウンターバランスのために36名と設定された。検出力分析では、No-Thinkとベースライン間の効果量が中程度(dz = 0.5)である場合、統計的検出力が80%以上となるには34名以上が必要であることが示された。
以下に示す通り、両実験とも目標サンプル数(36名)を上回る参加者が実験に参加したが、これは一部の参加者が事前に設定された除外基準により分析から除外されたためである。除外基準はデータ収集前に設定され、リクルートおよび分析手順もそれに従って実施された。
参加者
• 実験1:
43名の大学生が参加し、謝礼として1000円相当の図書カードを受け取った。全員が日本語を母語とし、精神障害の既往歴はなかった。5名はテストフェーズで音声応答が一部取得できなかったため、また2名は実験終了時にTNT指示に関する質問に正答できなかったため、計7名が除外された。最終的なサンプルサイズは36名(平均年齢20.53歳、SD = 1.87、男性 = 24名)。
• 実験2:
46名の大学生が参加し、同様に謝礼として図書カードを受け取った。精神障害の既往はなかった。8名はTNT前のリコールテストにおいて80%以上の正答基準に達せず、2名はTNT指示に関する質問に正答できなかったため、計10名が除外された。最終的なサンプルサイズは36名(平均年齢20.39歳、SD = 1.86、男性 = 16名)。
材料(Materials)
両実験で同じ材料が使用された。36セットの4語構成(キュー、ターゲット、代替語、独立プローブ)が準備され、さらに12セットの補助用語セット(フィラー)が使用された。すべての語は情動的に中立で、日本語コーパスにおいて7段階中5.5以上の高い親しみ度(Amano & Kondo, 1999)を持ち、2〜5モーラから成る名詞であった。
独立プローブ(IP)には、対応するターゲットのカテゴリ名が使用された。ターゲット語はひらがなまたはカタカナで構成され、それ以外の語(キュー、代替語、IP)は漢字を含むあらゆる文字形で構成されていた。
事前に、19名の大学生(実験には不参加)によって各語対の連想強度が5段階で評価された。キューとターゲット、キューとIPの連想は弱く(キュー–ターゲット 平均 = 1.41, SD = 0.39;キュー–IP 平均 = 1.55, SD = 0.59)、ターゲット–代替語も弱い連想だった(平均 = 1.28, SD = 0.24)。一方で、キュー–代替語は強い連想があった(平均 = 4.35, SD = 0.41)。36セットの語彙は、Think、No-Think、Baselineの3条件に均等に割り当てられ、ラテン方格法でカウンターバランスが施された。
手続き(Procedure)
実験1
この実験は以下の5つのフェーズから構成された:①エンコーディング(記憶定着)、②TNT前リコールテスト(pre-TNT recall test)、③TNTタスク、④最終リコールテスト、⑤実験後質問票(図2参照)。⑤を除くすべてのフェーズは、PsychoPy(Version 1.85.3; Peirce, 2007)で実施された。
• エンコーディングフェーズでは、参加者は48組のキュー–ターゲット語対を1組5秒で提示されて学習し、その後キューからターゲットを想起する練習を行った。提示順はランダム化され、先頭と末尾6組はフィラー項目として使用された。次に、テストとフィードバックのサイクルを通して連想強度を強化した。各試行ではキューが提示され、参加者は5秒以内にターゲットを声に出して想起し、完了後にスペースキーを押す。時間内に応答しない場合も含め、正解語がフィードバックとして提示され、参加者は自分の応答が正しかったかどうかを○(正答)か×(誤答)のキーで報告した。誤答だった項目は次のサイクルで再提示され、「全項目正答」となるまでこのサイクルを繰り返した(平均サイクル数 = 1.85, SD = 0.52)。
• TNT前リコールテストでは、すべてのターゲットに対してキューを提示し、参加者は10秒以内にターゲットを声に出して想起した。各応答はマイク(Blue Microphones Snowball)で録音され、個別の音声ファイルとして保存された。このフェーズでは、80%以上の正答が達成できない参加者のデータは分析から除外された。
• TNTタスクでは、キューのフォント色によってThink(緑)とNo-Think(赤)の試行が区別され、参加者は色に応じてターゲットを声に出して想起するか(Think)、思い出さないようにする(No-Think)かを求められた。No-Thinkでは、提示されたキューに集中し、それ以外のこと(ターゲットも含む)を考えないよう指示された(直接抑制)。指示内容を理解しているか確認した後、フィラー語を用いた練習(ThinkとNo-Think 各6試行)を行い、実験本番(384試行)に入った。本試行は16ブロックに分けて行い、各ブロックで24のキューが提示された。ThinkとNo-Thinkの試行順はランダム化され、2ブロックごとに休憩が挟まれた。
• 最終リコールテストでは、同じキューを用いる「同一プローブ(SP)テスト」と、カテゴリ名と頭文字を手がかりとする「独立プローブ(IP)テスト」が行われた。SPテストはTNT前テストと同様に行われ、参加者には「キューは学習した語対の一部である」と説明された。IPテストでは、キューの代わりにカテゴリ名+頭文字が表示され、参加者はその手がかりから学習した語を思い出すように求められた。テストの順序は参加者間でカウンターバランスされた。
• 実験後アンケートでは、①自由記述による実験の感想、②TNT指示に関する理解確認(緑と赤のキューの意味)、③集中度の自己評価(4択)を行った。「眠ってしまった」と回答した参加者はいなかった。
実験2
手続きは実験1とほぼ同一だが、以下の点で異なった:
1. No-Think条件の指示:No-Think試行では、直接抑制ではなく「思考置換」が指示された。すなわち、赤いキューが提示された場合、ターゲットではなく事前に学習した代替語を声に出して想起するように指示された。この代替語は、TNTタスクの指示後・練習後・本試行の途中(第8ブロック後)の3回学習された。
2. SPテストの指示:SPテストの前には、「思い出すべき語は最初の学習フェーズで記憶した語である」と強調された。
3. 最終リコールテストの追加:SPおよびIPテストの後に、No-Think試行で用いられた代替語のリコールテストが行われた。各試行ではNo-Thinkのキューが10秒間表示され、対応する代替語を声に出して想起するよう求められた。
データ解析(Data analyses)
リコールテストで得られた想起遅延データに対して、以下の解析を実施した。
1. 想起遅延の分布と対数変換された想起遅延
まず、正答した試行の想起遅延の分布を確認するために、参加者全体のデータを用いてカーネル密度推定による密度プロットを作成した(図1を参照)。推定にはRパッケージ「ggplot2」(Version 3.3.3; Wickham, 2016)のstat_density関数を使用し、ガウスカーネルを適用、帯域幅はSilvermanのルールに従って自動設定された。
さらに、想起遅延がThink/No-Think操作によって記憶想起を促進または妨害したかを評価するために、対数変換した想起遅延の平均値(分布の中心傾向を示すと考えられる)を統計解析した。対数変換は、分布の歪み(スキュー)を補正するために行った【7】。各参加者について、10秒以内に正しく想起された試行の平均対数想起遅延を算出した【8】。
• TNT前とSPテストに関する解析:Think、No-Think、Baselineの3条件(TNT操作)×2テスト(TNT前 vs SP)による対応のある二要因ANOVAを実施した。2つのテスト(同一語彙、同一手続き)を比較することで、TNT操作の影響を明確に捉えることが可能になるため、この設計が採用された。
• IPテストに関する解析:IPテストの対数変換想起遅延には、TNT条件(Think, No-Think, Baseline)を要因とする一要因の対応のあるANOVAを実施した。
2. 経過時間に応じた想起率
次に、各時間点(2秒、3秒、4秒、5秒、10秒)での想起率を算出し、時間の経過とともにどのように変化するかを調べた。指定時間内にターゲットを正しく想起できなかった試行(誤答または想起遅延が指定時間を超えた場合)は「失敗」とし、それ以外は「成功」と分類した。
• 4秒および10秒の想起率に関する分析:時間制限の違いが想起率(すなわち「忘却」の程度)に与える影響を調べるため、TNT操作(3条件)×テスト(TNT前 vs SP)による対応のある二要因ANOVAをそれぞれ4秒と10秒について実施した。
• IPテストにおける分析:IPテストに関しては、4秒および10秒での想起率に対してTNT操作(3条件)を要因とする対応のある一要因ANOVAを個別に行った。これは、4秒と10秒の想起率が独立していないため、統合的な分析を避けるためである。
補足:
• 【7】:反応時間(RT)データにはさまざまな解析方法があるが、本研究ではex-Gaussianフィッティングのような分布モデルを避け、対数変換を採用した。これは、参加者ごとの試行数が少なく(最大で各条件12試行)、分布モデルでは精度が落ちるためである(Lacouture & Cousineau, 2008;Blanch & Cousineau, 2024)。
• 【8】:条件間比較において試行数を均一に保つため、pre-TNTテストで想起できた項目だけを条件とする“条件化分析”は行わなかった(Nardo & Anderson, 2024)。全体で90%以上の正答率が得られていたため、結果への影響は小さいと判断した。
結果(Results)
1. 想起遅延の分布および対数変換された想起遅延
密度プロット(図3Aおよび図4A)は、実験1および2における全参加者の想起遅延の分布を示している。全体的に、すべてのテストとTNT操作条件、No-Think指示の違いにおいて右にスキューした分布が見られた。
• TNT前リコールテストでは、Think、No-Think、Baselineの3条件間で分布は大きく重なっていた。
• **SPテスト(TNT後)**では、分布が明確に異なり、
• Think条件ではBaselineよりも想起が速い、
• No-Think条件ではBaselineよりも想起が遅いという傾向が見られた。
この分布に一致して、**対数変換された平均想起遅延(図3Bおよび図4B)**も、以下のようなパターンを示した:
• 実験1では、3条件(Think, No-Think, Baseline)×2テスト(TNT前, SP)のANOVAにて交互作用が有意であった:
F(1.71, 59.94) = 37.11, p < 0.001, 効果量 η²₉ = 0.12
• TNT前テストでは有意差なし:F(2, 70) = 0.86, p = 0.428
• SPテストでは有意差あり:F(2, 70) = 43.75, p < 0.001
• Think vs No-Think:t(35) = 8.67, p < 0.001, dz = 1.45
• Baseline vs No-Think:t(35) = 4.20, p < 0.001, dz = 0.70
• Think vs Baseline:t(35) = 5.95, p < 0.001, dz = 0.99
• 実験2でも同様に、交互作用が有意:
F(2, 70) = 108.56, p < 0.001, η²₉ = 0.29
• TNT前テストでは有意差なし:F(2, 70) = 0.40, p = 0.674
• SPテストでは有意差あり:F(2, 70) = 154.56, p < 0.001
• Think vs No-Think:t(35) = 14.47, p < 0.001, dz = 2.41
• Baseline vs No-Think:t(35) = 12.98, p < 0.001, dz = 2.16
• Think vs Baseline:t(35) = 5.51, p < 0.001, dz = 0.92
→ 両実験とも、Think操作は想起を促進し、No-Think操作(直接抑制または思考置換)は想起を妨害することが示された。
2. IPテストにおける分布と対数想起遅延
IPテストでは、Think、No-Think、Baselineの3条件の分布がすべて重なっており、想起遅延の分布に差は見られなかった(図3・図4の下段)。
• 実験1:F(2, 70) = 0.23, p = 0.795
• 実験2:F(2, 70) = 0.64, p = 0.530
→ IPテストではTNT操作の効果は検出されなかった。
3. 経過時間に応じた想起率の変化
想起率は時間の経過とともに上昇し、10秒ではすべての条件でほぼ100%に達した(図3C、図4C)。この結果は、記憶障害が**「破綻」ではなく「遅延」である**ことを強く支持する。
• 実験1:
• 10秒時点でのNo-Think vs Baselineの差は非有意:t(35) = 1.11, p = 0.588
• 4秒時点では有意差あり:t(35) = 2.38, p = 0.046, dz = 0.40
• 実験2:
• 10秒でも有意差はあったが効果量は小さく:t(35) = 2.60, p = 0.027, dz = 0.43
• 4秒ではより大きな効果:dz = 0.81
→ 「忘却」効果の大きさは、リコールテストの試行時間に依存する。
議論(Discussion)
TNT研究の文献は、記憶プロセスの制御に関する理論的・臨床的な示唆を提供してきた(Anderson & Hulbert, 2021)。しかし、「想起率(recall rate)」という評価指標に関しては、十分に検討されてこなかった。大半のTNT研究では、記憶制御の効果を想起率で評価しており、各項目の記憶成績を「成功」または「失敗」の二値的に分類している。しかし、実際の記憶想起は非二値的な活性化のダイナミクスとして表れるため、このような評価は本質を捉えきれていない。
また、リコールテストで設定される試行時間(trial duration)も多くの研究で任意に決定されており、これが想起率に影響する可能性がある。これらの問題は、想起停止(retrieval stopping)という過程の理論的理解において見落とされてはならない。
本研究の主目的は、TNT操作により生じる記憶想起の時間分布が、想起破綻(breakdown)なのか遅延(slowdown)なのかを判別することであった。両実験において、TNT後の同一プローブ(SP)テストでは、Think、No-Think、Baselineの3条件において想起遅延の分布が明確に異なっていた。Thinkターゲットはより速く、No-Thinkターゲットはより遅く想起され、ベースラインと比較して有意な差があった。
このことから、No-Think項目に対する「忘却」は、従来考えられていたような「一部の記憶が想起不能になる破綻」ではなく、多くの記憶に対する想起の全体的な遅延であることが示唆される。つまり、想起停止は、不要な記憶への長期的なアクセス不能や削除を引き起こすわけではなく、それらが意識にのぼるのを一時的に防ぐだけである。
これは想起停止の有効性を否定するものではない。日常生活では、たとえば10秒もかけて思い出そうとする場面は少ない。したがって、遅延効果だけでも不要な記憶が自然に想起されることを防ぐには十分である(Anderson & Huddleston, 2012のretrieval tendency仮説を参照)。
さらに、想起率の時間的推移を調べた結果では、全条件で時間とともに想起率が上昇し、10秒時点ではほぼ全項目が想起された。これにより、4秒では観察されたベースライン以下の忘却が、10秒では消失または縮小することが示された。
特に実験2では、10秒でもベースライン以下の忘却が有意に残っていた。このことは、No-Think項目の一部が本当に破綻していた可能性を示唆し、思考置換による強い干渉によっていくつかのターゲットが完全に想起不能になったと考えられる(図1Bの破綻モデルと一致)。
直接抑制と思考置換の比較
両戦略はともに想起の遅延を引き起こしたが、思考置換では一部のターゲットで破綻も起きた可能性がある。
• 遅延:記憶抑制(inhibition)によると解釈可能。抑制された記憶はキュー提示時の活性水準が低く、再活性化に時間がかかる。
• 破綻:干渉(interference)によると解釈可能。代替語との強い連想により、ターゲットの自発的想起が阻害される。
ただし、思考置換による10秒時点のベースライン以下の忘却も、単により強い遅延効果の結果であり、もっと長い時間があれば想起できた可能性もある。その場合、破綻と見える現象も、実は遅延で説明できる。思考置換はretrieval-induced forgettingと同様の記憶抑制を含む可能性もある(Anderson & Spellman, 1995)。
評価指標としての想起率の限界
4秒試行でベースライン以下の忘却が顕著に観察されることから、TNT効果を検出するには適切な試行時間といえる。しかし、試行時間により結果が変わる想起率は、個人差や比較研究において評価指標としての限界を持つ。想起遅延の方がより精緻な指標となりうる。
研究手続きに関する注意点
本研究では参加者がスペースバーを押すことで自分で次の試行へ進む自己ペース方式を採用しており、これは多くのTNT研究と異なる。これにより「速く答えようとする戦略」が促された可能性があるが、誤答後の訂正が可能だったため、結果には大きな影響はなかったと考えられる。
限界と今後の課題
1. IPテストで効果が見られなかった:日本語の音韻特性(仮名が子音+母音のまとまりで英語より情報量が多い)により、IP手がかりが強力になった可能性がある。
2. TNT前リコール基準の厳格化(80%):連想の強化により、破綻が起こりにくくなった可能性がある。
結論
本研究は、想起停止が記憶そのものを失わせるのではなく、想起の速度を遅くすることを示した。したがって、試行時間に依存する想起率だけでは記憶抑制の本質を捉えきれない。今後は想起遅延を指標とすることで、記憶制御の理論的理解が深まると期待される(Osth & Farrell, 2019参照)。
【メモ】
記憶想起を強制的に抑制させると、想起が遅くなるだけで、それはどうやら部分的に失われたから思い出せないというよりも、むしろ記憶の再活性化に時間がかかっているから思い出すのに時間がかかる、という感じの結果のようだ。俗にいう「勉強したことが思い出せない」というのと無理矢理関係させるとすると(直接今回の実験結果とは関係しない)、そもそも「全体的な関係を覚えられていない」ということが大きいのかなと思った。