子どもの作文からその子の将来を予想すること

授業や研究で使うためにいろんな人の子どもの頃の日記や作文を集めている。

先日、授業で何人分かの1-3年生までの日記を見せた(許可はもらってる)。その中に書字障害の診断のある子どもの作文を1つ入れ、その旨を受講学生に伝えた。

学生にはどれが書字障害のある子だと思う?とその根拠とともに尋ねた。

すると1つの作文がほぼみんなの一致した見解として選ばれた。

曰く、小3にしては習っているはずの漢字を使っていない(ほぼ漢字が使われていない)、句読点がない、文法がおかしい、字が歪んでいる、内容も「普通じゃない」、ということだった。

薄々気づかれているかもしれないが、実はその作文を書いたのは小学校3年生だった私である。

1人だけ書字障害の診断のある子どもの作文を言い当てた受講者がいた。その根拠は「書き直しの跡が多い」ことだった。なるほど。しかしこの子が書き直しをしなかったとしたらどうだろうか。書字障害の子が書き直しを常にするとは限らない。

ちなみに、紹介した作文は書字障害があると診断された小2の子の作文、私の小3のころの作文、うちの長男の小2のころの作文、双子弟の小1のころの作文、のちに大阪大学の院生になる人の小2のころの作文、のちに東京大学の院生になる人の小3のころの作文であった。阪大院生と東大院生の日記は「まあ、普通の小学生の作文」という評価であった。

なんと皆の共通見解として「この子は頭良さそう」とされたのがうちの双子弟の作文であり、一番問題のありそうな作文(私の作文)に似ていて次点として問題を感じる、とされたのがうちの長男の作文だった。

さて。結局のところ私が何を言いたかったのかというと「子どもの頃に書いた文章をひとつやふたつ見ても、その子の将来はわからない」ということである。

こんな内容の作文を書く子の将来が心配、などということを言ってくる人がいたとすれば、それは無視して構わない。

では、こういうことは無意味かというとそうでもない。「何度も書き直した形跡がある」ことに気づいた人は鋭い。ちなみにこの人は別の大学の院生で、私の授業に潜っていたのであった。このように個人の筆跡(というか作文やテストの回答用紙)をたくさん集めてみると、筆跡や、正答誤答のパターンなどから「現在のその子の学習課題」が推測できることは多い。

いまその子が抱えている問題を推測するためにいろいろな資料から情報を集め、論理的に推測して「仮説を立てる(決めつけることはNG)」ことはその子の問題の解決に役に立つけれども、それと将来の予想は全く別の話だというのが私の考えだ。