自覚なく免除されているもの
今読んでる「断片的なものの社会学」の中でマイノリティの反対はマジョリティだけどマジョリティってのには「経験がない」,っていう話になるほどなと思った.よく言われている話なのかもしれないけど.マジョリティは実態があるわけではなくて「マイノリティ以外」なわけで自覚がない
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
なので,「〇〇出身者」というマイノリティがいて,その人たちが〇〇出身であるということにまつわる経験を有するのに対して,マジョリティは〇〇出身ではないということにまつわる経験を有しない.この非対称性は重要やなと思った.いやもちろん初めて意識した,というわけではないんやけど,改めて.
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
もう一つ重要やなと思ったのは,マイノリティマジョリティじゃなくてこの「経験を有しない」ってことが「免除されている」ということに繋がってるということ.例えば自分は男性であるからか「自分の性別がどちらか」を意識する機会を免除されている.
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
僕が自分を個人として認識するに当たって自分の性別がどちらであるかということなんて一切考慮していない.女性の中にはそうではない人が少なからず存在するということを知って,さっきの「免除」という概念の重要性を認識した.
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
臨床の場でいろんな人と話をしていると,こういう分析的な視点ではないもののこの「非対称性の不条理さ」を嘆く人が多い,ということを改めて認識した.こういう点から何か壁をうまく突破できないだろうか.もう少しでいい研究のアイデアに繋がりそうな気がする,.
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
先日の犬山会議の懇親会で佐倉先生から「当事者研究をどう捉えればいいの?(大意)」という質問をいただいたときに考えたことを思い出した。僕の認識では当事者研究というのは方法論ではあるが研究方法論ではない。ただし、研究の定義を拡大すれば研究方法論で、それは現象学の一つと考えられると思う
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
例えば自閉症スペクトラムといわれる人はいわゆる三つ組の特徴(社会性の障害、コミュニケーションの障害、興味の著しい偏り)を当てはめられることがある。しかし、いろんな人に話を聞くと「当てはまる部分もあるがそうでない部分もあるので、他者から評価されることをそうですかと受け入れられない」
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
例えば自閉症スペクトラムといわれる人はいわゆる三つ組の特徴(社会性の障害、コミュニケーションの障害、興味の著しい偏り)を当てはめられることがある。しかし、いろんな人に話を聞くと「当てはまる部分もあるがそうでない部分もあるので、他者から評価されることをそうですかと受け入れられない」
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日
で、しばらく前の「免除」の話に戻るけど、「免除されてる/されてない」ことに気づくのは「ラベルを貼られる」ときだという文章を思い出した。「女流棋士」「障害があるが〇〇した人」みたいなラベル。当事者研究というのはラベルを剥がす作業なんだな、と思った。
— Kohei_OKA (@aloha_koh) 2018年1月15日