スムースな会話の落とし穴

知的障害のある人の支援に関する問題でよく聞くのはコミュニケーションが難しいということです.このようなコミュニケーションの困難をどのように解決するかということについては,AAC(Argumentative and Alternative Communication: 拡大代替コミュニケーション)という分野でさまざまな成果が既に蓄積されています.今回はその説明は割愛させていただきます(機会があればまた書きます).

知的障害のある人の場合,コミュニケーションの困難を尋ねるとよくある回答としては「言葉でやり取りすることが難しい」ということと「相手が何を考えているのか,読み取ることが難しい」ということの2つがまず挙がります.でも,今回は別のことを書きたいと思います.それは「言葉でやり取りができていると思っていたら実はできていなかった」というケースです.実はこれって相当多いのではないかと思います.こういうケースの問題は「発覚しにくい」ことです.注意深く気に留めていないと,何気なく過ぎ去っていく日常の中で埋没していきます.

このような問題を抱える人は成人して,ある程度生活が安定している知的障害のある人の中に多く見られるような気がしています.毎日の生活の中で,特に何の問題もなく,事業所に来られて,一緒に仕事をして,会話をして,一緒に楽しんで,家に帰られるわけです.何の問題もありません.でも,ここが問題なんですね.問題がないことが問題.正確に言うと「問題が生じているとこちらが気づかないレベルで会話が成立している」という問題です.

「おはようございます」 「おはようございます」
「昨日はよく眠れましたか?」 「よく寝ました」
「体調はいかがですか」 「元気です」
「○○の仕事お願いします」 「はい,わかりました」
「そろそろお昼ご飯ですね.片付け始めてください」 「はい,わかりました」
「最近どんなテレビ見ましたか」 「昨日,野球見ました」

何の問題もないわけです.ところが,あるとき突然問題が生じるわけです.自傷/他傷するようになった,家に帰らなくなった,目に見えて元気がなくなった,などなど.そこで周囲の人は悩むんですよね.毎日話もして,元気な彼が,どうして最近急に変わってしまったのだろうか,病気だろうか,ストレスだろうか,家で何かあったのだろうか,対人関係のトラブルだろうか,などなど.

慌てて本人に尋ねるわけです.

「昨日はよく眠れましたか?」 「よく寝ました」
「体調はいかがですか」 「元気です」
「最近,不安なこととかないですか」 「いやべつに」

会話は成立します.聞いても本人が問題ないと言う.だから何が問題なのかわからない.

私は職業柄,こういう状況に立ち会うことがあります.このような状況になる人の知能検査をすると,たとえば成人用ウェクスラー式知能検査(WAIS-Ⅲ)なんかでは実は計測不能で知能指数が40以下と判定される人が’多いという印象です.知的障害の判定では,重度や場合によっては最重度と判定されるような値です.言葉の意味を理解することが極めて難しい,というレベルです.が,療育手帳の判定時には会話が成立するということもあって,なかなかその「重さ」が外の人に認めてもらえなかったりします.

言葉が理解できるということと,会話が成立するということは別のことだと認識する必要があります.
なぜ会話が成立するのか.理由は2つあります.ひとつはその人が「あいづちを打てること」,もうひとつは対話相手の「質問が簡単なこと」です.周囲の側が無意識に会話の難度を下げていることが多いのです.難度を下げるのはいいのですが,会話の質を下げることはよくないことだと思います.

こういうとき,その人がどういう言葉を話しているか,注目して下さい.あなたの問いかけにどう反応されるかではなく,自らどういう風に発信しているか,ということです.私の知っているケースの場合は,発信のバリエーションが極端に少ないことが多いです.

つまり,会話は成立しているようにみえるだけで,コミュニケーションは取れていないんですね.
どうすればその人の発信の中身を増やすことができるのか,という視点で会話を見直す必要があります.

「おはようございます」 「おはようございます」
「昨日はよく眠れましたか?」 「よく寝ました」
「体調はいかがですか」 「元気です」
「○○の仕事お願いします」 「はい,わかりました」

この会話が10年同じように続くかもしれません.これが本当によいことなのかどうか,きちんと考える必要があります.
(このコラムはサポートネットワークアミーカウェブサイト掲載用に書いたものを転載しています.)