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わかるとはどういうことか

Posted by Kohei on 5月 7, 2011 in 思いつきコラム

知的障害のあるお子さんのいる親御さんと面談をしていると,ときどき「この子がどこまで理解しているのか,親でもよく分からない.この子は一体どの程度わかっているんでしょうか」という相談を受けることがある.

これは研究者としては,ちゃんと親御さんが納得するレベルで答えたい,答えるべき質問である.
一方で,この問題は非常に難しい問題でもある.「わかる」とはどういうことかという問題である.

アマゾンで検索すると,「わかる」ということについて,その仕組みや伝え方を解説した本が何十冊も出てくる.私も何冊もそういう本を読んだ.たくさん読んだ中で,私が一番腑に落ちたのは山鳥重先生の「わかるとはどういうことか」という本である.

本に書かれていたことに自分なりに解釈を加えてまとめると以下のような絵になる.

understand

そもそも人間が「わかった」と思うのはどういう状況か.相手(人・本・その他メディア.図中のA)の話の内容を,自分(図中のB)の頭の中で再構成し,整理できたときに「わかった」とおもうのである.

このように考えると,つまり,わかるための前提として,以下の4フェーズが存在することになる.

1.話題提供者(A)の頭(あるいは書籍など)の中に,情報Xが明確に存在する.
2.話題提供者(A)(あるいは書籍など)が情報Xの意味や構造について発信する.
3.受け手(B)がメッセージ(情報X)を受け取る.
4.受け取ったメッセージ(情報X)を頭の中で再構成する

この4番目の,自分の頭の中での再構成ができたとき,人は「わかった」と思うのである.
逆に言うと,「わからない」場合にはこの4フェーズのどこかに問題があることになる.

例えば
1.話題提供者(A)がそもそも情報Xについて曖昧な概念しかもっていない.
2.話題提供者(A)が情報Xについて,上手く説明できない.
3.受け手(B)がメッセージをさまざまな理由から受け取ることができない.
  →例えば,見えない,聞こえない,読めないなど.
  →複数の情報を頭の中で保持することが困難.
4.受け手(B)がメッセージを上手く再構成できない.
  →類似体験の様な経験(記憶)を上手く利用できない.
  →情報の再構成(概念の操作)が困難.

このように4段階に分けるとメリットが生じる.
つまり,これらの4フェーズに沿った支援を行うことができれば,「わかる」ことを支援できるということになる.

ここで重要なことは,わからないということについてAとB双方に原因がある可能性があるということである.大人は得てして「子どもはどうしてわからないんだろう」と考えがちであるが,上記の1や2のように自らのせいで子どもの「わからない」状況を作り出している可能性がある.

さて,ここであらためて冒頭の相談「この子がどこまで理解しているのか,親でもよく分からない.この子は一体どの程度わかっているんでしょうか」について考えたい.

実はこれには2つの「わからない」がある.
(イ)子どもが何かの事柄について「わからない」(親/周囲の大人がAー子どもがB)
(ロ)親が子どもの理解の程度について「わからない」(子どもがAー親がB)

なので,(イ)と(ロ)の2種類について各4フェーズのどこが問題なのか,考える必要がある.ところが,冒頭のような相談ごとについて考える場合,(イ)にばかり注目されがちである.そして,(イ)についてはいくつか対処方法がある.例えば,特別支援教育におけるTEACCHプログラムに代表される「環境の構造化」という手法はそれに当たる.認知・情報処理に困難のある子ども(知的障害や自閉症スペクトラムの)よりもむしろ,その子を取り巻く環境を構造化して整理する(規則や仕組み,ルールを見た目にもわかりやすくしたりする)ことで,認知や情報処理をしやすくするための工夫である.

この「構造化」は非常に有効であるために,ときに手段であるはずの「環境の構造化」自体が目的になり,本来の支援が誰のための支援なのかわからなくなるという問題がある.そのような場合によくみられるのが(ロ)に関する問題である.親が子どものことについてわからないままにとりあえず「構造化すればいいらしい」という表面的な理解で,「構造」に子どもを当てはめようとすることで,逆に子どもにストレスを与える事がある.

しかし,この(ロ)は冒頭の相談にもあるように,本当に難しい.子どもが自分の理解の程度を言語で説明できない場合,特に難しい.そのような場合,その子どもの理解力については,行動観察でもって推測するしかない.しかし,行動観察の専門家でない親にとっては,何をどう見ればいいのかわからない.専門家でもときに誤り,痛い目に遭う.

上記をふまえ,ここに親御さんに役立つ2つのアプローチを以下に示す.

・現状の「わからない」を上記(図)の4フェーズについて,どこで引っかかっているのか,整理する.
・現状の「わからない」を上記(イ)(ロ)に分けて整理する.

整理のポイントが見えれば,子どもの行動の何を観察すればよいのか,見えてくるはずである.そして,その先により具体的な支援が見えてくると考えられる.「この子がどこまで理解しているのか,親でもよく分からない.この子は一体どの程度わかっているんでしょうか」という問いに対しては,そもそも周囲の発しているメッセージが複雑すぎないか,曖昧に伝えていないか,そういうことを抑えたうえで,相手に受け入れられやすい形式でメッセージを伝えられているか確認し,その子どもが,どのようにわかっていないのか(十分な情報が取得できているか,正しく情報を保存できているか.情報が整理できているか,情報を正しく再構成できているか)を検討すればいいということになる.

具体的な支援のアイデアについてはまた今度.

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子どもが何かを学ぶとき

Posted by Kohei on 2月 7, 2011 in iPhone APP, 思いつきコラム

2歳9ヶ月の長男が,私のiPhoneやiPadを自由に操って,Youtubeで自分の好きな電車や車の動画を見る.文字が読めないのに,アプリケーション選択や設定画面を簡単に独力で乗り越えて遊んでいる.こういうのを見て,親として心理学者として驚く.最近.我が子がiPhoneを触るのを見ているとき,子どもの学びというものについて,考えさせられたことがあったので記録しておこうと思う.

仕事でiPhoneアプリをいろいろと調べたり集めたりしていることもあって,私のiPhoneには大量のアプリがインストールされ,テーマ毎にフォルダ分けされている.そのひとつ「知育フォルダ」に入れていた2つのアプリについて,面白いことがあった.

・すうじなぞり
・ナゾルート

この2つのアプリは,数字をなぞって数字とその書き順を学習するためのものである.機能は全くといって良いほど同じ.画面に表示される数字(薄く表示される)を指でなぞらせ,上手くなぞることができればファンファーレが鳴る.

はじめに「すうじなぞり」を息子にやらせてみた.上手くできない.で,すぐに飽きてアプリを終了する.これはまだ早いかな,と思っていたのだけれど,何となく気が変わったので,今度は「ナゾルート」を試させてみた.すると,今度は面白いことに,説明など一度もしなくても自分で勝手に1から9まで数字をなぞりきった.同じゲームなのに.

こういう場面に出くわすと,人が何かを学ぶというのは,つくづく不思議だなぁと思う.

二つのアプリケーションの違いは,下の画像の通りである.

すうじなぞり でなぞり中の画像
すうじなぞりでなぞり中

ナゾルート でなぞり中の画像
ナゾルートでなぞり中

すうじなぞりが,洋服のボタンのアイコンを薄く描かれた数字に沿ってスライドさせるのに対して,ナゾルートの方は,バイクのアイコンを道路に見立てた数字に沿ってスライドさせる.これだけの違いで,子どもは課題をクリアできるようになる.

これを目の当たりにして,私はマイケル・コールの研究を思い出した.正確にはiTune U の東京大学ポッドキャストで佐伯胖先生が話していたマイケル・コールの話なのだが.子どもがいかに学ぶかという文脈に於いて,マイケル・コールが「子どもの学び」について語ったという話である.「私の子どもは,時計が読めなかった.けれど,デジタル腕時計を買ってあげたらうれしがって,それを周りの人に自慢したよ.デジタル時計は数字が書いてあるから,その数字を子どもは読み上げれば,時間が分かる.周りはおもしろがって,子どもに『いま何時だ?』と尋ねる.すると子どもはうれしがって,ディスプレイの数字を読み上げる.そうしたら他の時計も読めるようになったよ」と.いわゆる「普通の」認知心理学を学んできた私からすると,先の話は「何の説明にもなっていない」のだけれど,今ではなるほどな,と思う.

何か頭の中で「獲得」された後に,ある行為が遂行できるようになる,というような時系列に沿った学習が学習の全てではない.中途半端な説明で申し訳ないのだが,モチベーションを伴った活動の中で初めて子どもは学習していくのだろう.

私は長年,知的障害のある人の支援にも関わって来て,同じように興味深い,考えさせられる場面に立ち会ったことがある.35歳のAさんが,ある小規模作業所で働いていた.その人は,重度の知的障害と診断されていてる(すなわち知能検査の結果がIQ50以下).普段の作業では,箱を組み立てたり,物を袋詰めしたりしている.箱折り作業はもう5年ほど続けているが,折った箱を積み上げる際に,積み上げ方を毎回間違えて,毎日注意されている.

今となっては,環境調整でいろいろと工夫をして,そういった注意を受ける状態を回避できるようにすれば良かったと思うのだけれど,当時の私にはそのような知識はなかった.いろいろ試行錯誤しながら言葉での伝え方をかえたり,イラストに描いてそれを見てもらったりしてみた.けれども効果が上がらず落ち込んでいた.

ある日のこと,作業所のメンバーの内,いわゆる作業能力の高い人,が数名同時に風邪で休んだ.残ったメンバーで作業をしなければならない.掃除の時間になった.いつもは作業所の2階の掃除は,一番作業能力の高いメンバーが1人で掃除機を掛けることになっている.いわゆる選ばれた人の「カッコイイ」仕事なのである.その日,初めてAさんがその大役を引き受けることになった.指導員や私は,メンバーが足りないので,締め切り時間間近の製品を仕上げるのに必死で,Aさんの掃除を手伝わなかった.ただ内心,Aさんは1人でできるだろうか,と不安ではあった.

数分後,階段から下りてきたAさんは明らかに表情が変わっていた.なんというか「パッと明るくなった」感じがした.不思議で仕方がないことのだが,それ以来,Aさんは箱を積み重ねる際に間違えることが一回もなかった.作業の精度も上がり,周囲の信頼も得て,どんどんと新しい仕事を覚えて取り組まれるようになった.5年間,毎日同じことで失敗して注意を受けていたようなAさんだとは,にわかには信じられないくらいの劇的な変化だった.

この場面に立ち会ったとき.人が学ぶとか,能力が上がるとか,そういうものって一体どういうことなんだろうか,と考えさせられた.スモールステップで,要素を学び,その積み重ねで何かひとまとまりの機能が獲得される,と考えるのが一般的な認知心理学の考え方である.Aさんは箱の積み重ね方が分かっていたけれども,やる気がなかったのではないかという意見もあるかもしれないが,私が2年一緒に働いた感じでは,そういうことではないと感じた.本当に当時はいろいろな手続きが理解できていない様子だった.ところが,ほんの数分で劇的に質的に理解の能力が変化した.

他にもこういうことがあった.

私は知的障害のある人のための小規模作業所を何カ所も回って,調査をしていた時期がある.こういう作業所って,以外と横のつながりが無い場合がほとんどなのである.他の作業所でどのような仕事をしていて,どのような指導方法が採られているか,指導員同士もあまりよく知らないことが多い.このような作業所を利用している人の多くは,一般就労が難しい人で,つまり,障害の程度が重い人である.なので,製品の数を数えるといったカウンティングが困難な人が多い.むしろ,カウントできる人の方が少なかったりする.

ところが多くの作業所を回るうちに,ある1カ所の作業所では,全員がカウントできるということに気がついた.不思議であり,驚くべきことであった.なので,いくつかその原因について考えてみた.

・知的障害とはいっても自閉症が多いのではないか?(自閉症の人はカウント能力がある人が多い)→No 障害種別内訳は他とかわらず
・知的障害の程度が軽い人の比率が高いのではないか? →No 他とかわらず.
・メンバーの年齢が高いのではないか? →No 他とかわらず
・指導員の訓練が上手なのではないか? →No 他の作業所より訓練せず.指導員は「え?他の作業所では数を数えられないんですか?!」と驚く.

とまぁ,特別に他の作業所と違う部分がないのである.

一体何が他の作業所と違うのだろうか.いろいろ調べてみると,ある一つのことが関係しているのではないかと思われた.それは,昼休みの過ごし方,であった.その作業所では,昼になるとメンバーが集まって,皆で輪になってトランプをする.ルールを知らない人が作業所に来ると,他の先輩メンバーが手取り足取り教える.数週間経てば,重度の知的障害のある人でも,トランプをして過ごすようになる.どうも,こうやってトランプで遊ぶうちに,自然と数字を覚え,カウントできるようになっているらしい.

こういう面白い事例を見るとすぐに,この現象についてその詳細をちゃんと調査して,メカニズムを特定できれば,その方法を多くの教育場面に応用できるはずだ,と考えるのが研究者である.けれど,これはとても難しいことだろう.この研究は,きっと失敗すると思う.単純な観察法や実験法ではむしろ,しょうもない研究結果しか出ないのではないかと思う.条件統制して,コントロールを入れれば入れるほど,この現象のコアの部分が見えなくなるような気がする.ただ,研究をあきらめたわけではない.もうちょっといいアイディアが浮かんだら,いくつか試してみたいことがある.

で,結局子どもの学びの話からグダグダになってしまった.何を書きたかったのかというと,もうちょっと視点を変えて学びというものを研究すると,面白いものが見えてくるんじゃないかという話である.

人間の学びには,スタート地点があって,途中があって,ゴール地点がある.これまでの研究って,その途中に対するとして想定されているものにずいぶんと偏りがあったように思う.研究だけではなくて,大人の子どもに対する学びの評価も同様であったようにおもう.予想もしなかった部分に学びの秘密があって,それを上手く捉えきれない自分が歯がゆい.

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