教えない教育とその難しさ

先日,京都大学霊長類研究所の松沢先生と静岡県立こども病院の瀬戸先生との対談の記事を読みました.

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02994_01

少し長いですが,とてもいい記事なので引用させていただきます.

ーーー引用開始ーーー

松沢 教育という観点で面白いのが,チンパンジーの母親は子どもに何かを教えようとしないということ。チンパンジーでは,母親ではなく子どもの方に,非常に高い動機付けが存在します。彼らはまず周囲がやっていることをじっと見て,次第に真似てみるようになり,そうするうちに道具使用や小さい子どもへの世話を学んでいく。これが,チンパンジーの「教えない教育」です。

瀬戸 人間の社会にもありますね。例えば,すし職人は弟子にすしを握って見せるだけ。弟子は雑務をしながら,師の技を横目で見て学び,徐々に握れるようになります。

松沢 人間の教育でも,「教えない教育」というのは一つの型なんだと思います。これと対極にあるのが「教え込む教育」,学校教育ですね。

瀬戸 私は,背中を見て学べという教育のほうが,自分の解釈や意見,芸術性といったものを芽生えさせると思います。人間にとってすごく本質的な教育の在り方ですが,現代においては忘れられがちではないでしょうか。

松沢 どちらの教育も否定されるものではありませんが,私のいる基礎学問の世界では間違いなく「教えない教育」のほうが優れていますね。「教え込む教育」では師を超えられない。先生に教え込まれてしまうと,その先生よりいいものになんかなりっこないですから。

瀬戸 そこは医学界の教育とは全然違いますよね。職業人としての医師を育てるためには,一定レベルを満たす知識や技術の標準化が要求されます。

(中略)

松沢 もうひとつ,人間らしい教え方を見つけました。それが「認める,褒める」ということです。

瀬戸 チンパンジーは,子どもを褒めないのですか?

松沢 うん。こうしてうなずくこともありません。認めるというのは,「教えない教育」とも「教え込む教育」ともまったく違う,すごく人間らしいささやかな配慮だと思います。

瀬戸 確かに人間は,教える時に認める行為を繰り返しますね。

松沢 つまり,「今日の手術はよかったね」と褒め,「もうちょっとこうするといいんだよ」とそっと手を添えるのは,チンパンジーが絶対にしない,人間らしい教え方だと言えるんですよ。

ーーー引用ここまでーーー

翻って,特別支援教育や障害のある人の支援について考えたとき,私たちは「教える」ことを前提に話を進めがちです.でも,松沢先生が言うように「教えない教育」はとても重要だと思います.ただ,このことを障害のある人,特に知的に障害のある人に対してそのまま言葉通り実行するのは難しいと思います.なぜなら「見て学ぶ」というのが難しい場合があるからです.

以前,特別支援教育を専門とする有名な研究者と一緒にお酒を飲んだことがあります.その研究者は昔は特別支援学校の先生で,その後,研究者になった方で現場のことも詳しい先生です.そのお酒の席で,何のきっかけか子育ての話になったんですね.私はそこで「自分で子どもを3人育ててみて,初めてわかることがありました.自分の研究活動にとってもプラスになります.例えば知的に障害のある人の支援にも活かせる部分が大きいです.共通する部分が多いです」みたいなことを話しました.そうしたらその先生は「僕は逆だね.自分で子どもを育ててみて本当に驚いたよ.数の数え方なんて教えてないのに数えられるようになるんだもん.教えなくてもできるようになるっていうのが本当に衝撃だった」といった話をされたんですね.それを聞いたときはすごくショックでしたね.うまく言えないのですが,そういうものの見方に.自分にかけた視点に気づくショックですね.

こういうことを踏まえると「教えない教育」というのは難しいんじゃないかと思ってしまうわけです.でも,それもまた違うと思うんですね.そういうことじゃないよ,って思います.そういうことを超えての「教えない教育」ってあると思うんです.いつも見せておく.知的に障害があると見て学べないっていうのは驕った考えのような気がします.他人の限界をなぜこっちが決められるのでしょうか.

じゃあ,どうすればいいのかという話になります.やっぱりいつも見せておく必要はあるんですよね.なので,いつも見せておくための準備が要ります.それは,一緒に長いこと居ること.ただし,大人がひとり,子どもとべったり居ればいいわけではないと思うんです(私は自分の3人の子どもですら何日も一人で面倒を見るというのは無理です.しんどいです).チンパンジーに置き換えて考えると(それが適切かどうかは置いておいて)チンパンジーには常に身近に社会があるわけです.常に社会を近くで見ているわけです.その点では人間も同じだと思います.多くの人と長く一緒に居ること,つまりずっと社会と接していること,は大切だと思います.それもただ居るわけではなく,その集団に,その社会にあなたはいつも居ていいんだという承認のメッセージがあればいいと思います(もちろん社会に承認する側される側の2区分があって一方が一方を「認めてあげる」,という意味ではなく).それが人間だけに備わった「認める」という行為ですね

インクルージョンってそういうことなんだと思うわけです.

一緒に居て,障害のある子もない子もわかりやすい教わり方で一緒に数の数え方を学ぶ,これがインクルージョンだとは思いません.まず一緒に居ることが当たり前と言うところからスタートする.そのなかで,いろいろな能力のある人が居る.そして,時間をかけて関係性を作っていく.関係性を作る上で,機能障害や能力障害というものを再び位置づけていく必要があると思います.そして,そうやってできた関係性こそが「教えない教育」の成果だと思うんですよね.

人と人,人と社会,その関係性から障害が生まれるというのがICFによる障害の定義です.

http://www.rehab.go.jp/ri/kaihatsu/lifeSupport/mapExplanation.php

だとすれば障害というものを何とかするには,障害が生じないように関係性を作る,作り直すということが必要だと思います.それが先に言ったようなこととつながるのだと思います.

研究者であるにもかかわらず,何の根拠もないフワフワした話をして済みません.今自分で読み返しても,何のことを言っているんだこいつは,と自分を殴りたくなります.が,一方で何か目指すものに近づいたなという感覚もあります.すみません.

(このコラムはサポートネットワークアミーカウェブサイト掲載用に書いたものを転載しています.)