手段を教えることと,目的を教えること

 障害のあるなしにかかわらず,また,学校だろうが就労だろうがその場面にかかわらず,何かを「教える」のであれば手段と目的を教えることが重要です.このとき,大切なのは汎用性のある手段と,本人にとって利益のある目的にすることだと思います.そんなこと当たり前でしょ?何を今さら,と思われるでしょう.でも,これを意識して実践している人は少ないのではないかなと思うので,書きたいと思います.
 例えば,学校で連絡帳を書く.これは何のためかというと,連絡事項を記録して,翌日以降の準備をするためですよね.で,連絡帳をちゃんと書きましょうとなるわけです.ほかにも,学校では授業のノートをとります.重要なことをあとで見返して,記憶を補助し,知識を身につけられるように記録するわけです.小中高と12年それをするわけですが社会に出ると「最近の新入社員はメモがとれない」「メモをとろうとしない」と言われるわけです.つまり,長年学んだことが活かされていない.これってでも,珍しいことではないんですよね.学校を出て,就職先がないときに「学校のキャリア教育がなってない」と批判されるわけです.これは一部合っていて一部間違っているなと思います.
 まず考えるべきは,何で学んだことが活かせないのかということです.心理学では,ある特定の技能(スキル)を別の場面で利用することをスキルの転移といいます.つまり,学校で学んだことが実生活の場面で転移しないわけです.なぜか.そこが重要だと思います.これは目的を伝えられていないからだと思います.いや,学校や家庭ではさんざん目的を伝えてますよ,教えてますよ,そういわれると思います.明日持ってくるものを忘れないこと,これが連絡帳を書く目的でしょ?授業ノートをとってテスト前にそれを見返すこと,それがノートをとる目的でしょう?ちゃんと伝えていますよ,といわれると思います.このとき,もうちょっと人生の長い目線で目的を捉え直すことって重要なんですね.
 挨拶の練習もしています.コミュニケーションの練習もしています.ソーシャルスキルトレーニングで社会のルールもしっかり教えています.今はしんどいこともあるかもしれないけれど,この子の将来のためです.長い人生の観点から,そういう大人になって必要なスキルを教えているんです.というのがよく聞く話です.ここが落とし穴だと思うんですよね.なぜかというと,それは正論のように思えるからです.でも,いざふた開けてみると多くの子どもが特別支援学校を出たあとの進路でとても苦労するわけです.どうして就職できないんだろう,もっと子どもに会った就職先はないだろうか,等といろいろ迷い,悩む親御さんは多いと思います.
 私たちはそのときのために,いったい何を準備すべきでしょうか.それは,人生における目的を伝えることだと思います.働くというのは目的ではないはずです.手段なんですよね.何の手段かというと,楽しいことをするための手段です.ほしい物を買う.見たいものを見る.聴きたいものを聞く.行きたいところに行く.美味しいものを食べる.なりたい人になる.つまり,目的を伝えるということはその子にとってのほしい物,見たいもの,聴きたいもの,行きたいところ,美味しいもの,なりたい自分,そういうものを一緒に探し出す作業なんだと思います.人によってそれらは大きく異なります.だからこそ,いろいろな体験をする必要があります.何かを身につける一番早い方法は,どう教えるかということよりもそのことに対してどのように動機づけられるかです.これはでも難しいんです.まず,周囲の大人がそういう風な観点で自分自身行動していないといけない.自分ができないことを子どもに求めるのは酷というものです.
 自分自身したことがないことを他者に求めるというのはよくあるのですが,これはよく考える必要があるなと思います.例えば,どうして障害のある子が就職できないとします.どうして雇ってもらえないんだ,と憤るわけです.私も悔しい思いを何度もしています.この人は適切な支援と適切な仕事があればうまく働けるんです.だから雇ってください.どうして雇ってくれないんですか.おたくはひどい会社ですね.わかりました,もう結構です.といったふうになる事が多いように思います.ところで,皆さん,ご自身で障害のある人を何人雇ったことがありますか?
 本当の目的を伝えるために,何がバリアになっているのか,それを見定める必要があります.本人には人生の楽しみ方を伝え,その手段として例えばメモをとることや働くことがどれだけ役に立つのか体験してもらうのが大切だと思います.一方で周囲の大人には,子どもにそれをどう体験させるのか,自らもまた体験する必要があると思います.このとき,何をどのように伝えるべきか,本当に必要なことは何か,必要だと思っていたけれども要らないものは何か,といったことがわかるように思います.例えばメモとるという目的があるとき,皆さんは必ず紙と鉛筆でメモをとるのでしょうか?私は場合によって使い分けています.何度も見返す必要があるときには,パソコンでテキストを入力します.パソコンが使えないときには手書きで紙にメモをして,その紙をスキャナーで取り込んでパソコンに保存します.裏紙にメモするとなくしてしまうからです.おつかいのメモならケータイのメモ帳に記録します.型番などをメモする必要があるときは,書くのが面倒くさいのでケータイのカメラで写真に撮ります.インタビューの記録をとるときは,書き漏らしがないように録音します.こんな風に状況に応じて使い分けています.実際に必要なことって,ある目的のために手段を選べることです.山に登るのに,必ず同じ道を通る必要はありません.頂上にたどり着くために,裏道から登ってもいいし,車で登ってもいいし,ヘリコプターで頂上に直接降ろしてもらってもいい.目的を伝える前に手段を伝えてしまうと,子どもはまずその手段がスタートラインになります.単なる手段のひとつが基準の価値観になるわけです.できることなら,周囲の大人は人生の楽しみ方を始めに伝えてあげて欲しいなあと思います.

(このコラムはサポートネットワークアミーカウェブサイト掲載用に書いたものを転載しています.)

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